9/29 まさかのレコーディング
本当は29日に書きたかったものの、最近ずっとブログさぼりがちで1日にこの記事を書いてます。
アクセスが全くないとブログを書く意欲がなくなってしまうのですが、最近は他人に見せる為ではなく自分が後で見返すために書こうかなと思い始めました。
それでは本題です。
29日は東京で借りる家の内見に行った。
A町にあるシェアハウスで、家賃は3万円で共益費が2万円と月々計5万円で住むことができる。
面倒くさくてオンライン内見で済ませようと思っていたが、知人やシェアハウス側からの強いすすめで実際に行くことになった。
行く前まではオンラインでいいっしょと思っていたが、やはり実際に行ってみると町の雰囲気も分かってすごく良い。というかむしろ、実際に行かないと分からないことって多いなと当たり前のことを実感した。
A町は田舎者である私が想像する東京とはかなりかけ離れていて、東京の23区内にありながらかなり田舎っぽい印象をうけた。
私の今住んでいる田舎町にもあるような昭和の雰囲気ただよう商店街、東京なのにトイレが使えるコンビニ、病院やらスーパーやら何から何までそろってて町内で事足りる利便性、キャンドゥがあると思ったら商品はまさかの高齢者向け。
街の何から何までが地元の雰囲気にそっくりで、安心感がすごかった。
令和でありながら完全に昭和の雰囲気で、それもまた平成生まれの自分にとっては新鮮だった。
東京の中にも田舎があるんだぁと思った。
シェアハウス内は事前に写真で見ていた通りで、特に変わったところはなかった。
しかしやはり部屋が狭く安っぽいつくりであるところなどは仕方ないけど残念だなぁという気持ちにはなった。
水回りがちょっとだけ汚くて、他人の同居するってこういうことだよなぁと思った。
部屋は狭いし家具は備え付けのものから変えられないし自分の城にできないし、共同スペースはもちろん自由に使えないしと、普通に一人暮らしをしたいという気持ちになった。
内見が終わった後はレッスンを受けに事務所に行った。
今回はレッスン3回目なのだけど、以前レッスンを受けたときよりどこかよそよそしい感じがした。メンバーが以前と違うからだろうか。
以前はアットホームで仲が良いと感じたが、今回はみんな割と個人主義的で決して仲は悪くないけど良くもないという雰囲気だった。
うーーん、やはりメンバーが違うからかもしれない。
前回は初対面の私にもグイグイと踏み込んでくれる人がいたが、その人がいなくなったことで初対面の私への接し方というのも少し変わったかもしれない。
忘れがちだが私は彼らにとってはまだ部外者に近い。距離感を間違えないようにせねば。
レッスンが始まると相変わらずみな私より上手くて、私が一番下手。
それは経験値が違うので当たり前。
でもそれが心地よかったりする。一番下手なんだから、思い切ってやらなきゃ!と思って思い切ってレッスンに臨むことができる。
一つ目のレッスンが終わると、今日はある企業のナレーションのレコーディングをしますと突如言われた。聞いてなかったのでびっくりしたしたが、まぁ、やるしかない(笑)
経験の無い私は人生で初めてのレコーディング。
画面に出てくる数字に合わせて読むのだが、これが本当に難しい。
早く読まなきゃいけないのに急いでることは感じさせちゃいけないし、早く読むとブレスができずに息が苦しくなる。
たった15秒ほどのナレーションがこんなに大変だなんて全然知らなかった。
自分はまだまだなんだということを改めて痛感する。
いやむしろ、スタートラインにすら立っていない。
初めてにしてはほんとに上手だよ!などと優しく声をかけてくれるが、明らかに気を使ってくれているのが分かって嬉しいのに苦しくなる。
私の声優偏差値が赤ちゃんレベルなのは事実。
それでも焦っちゃいけない。焦らずに少しずつ進むしかないんだ。
あーあ、何かの間違いで私のナレーション使われないかなぁ・・・
メディウムとティラミス
メディウム読んでティラミスつくった
良い
そんな私が出した結論
↑の記事を読んでない人は読んでからこの記事を読んでいただくようにお願い仕る
↑の記事の追記にて、「彼女は万人受けするように努力をしている。
その努力を全くしていない自分が、どうして彼女に文句を言えよう。」と書いた。
書いている途中は何も思わなかったが、後から果たして自分は本当にその努力をしていなかったか・・・?と疑問に感じた。
そして彼のことを思い出した。
私が手に入れたかった、振り向いてほしかった彼のこと。
以前記事にも書いたが、私には手に入れたいと思う男性がいた。
恋愛感情はなかったが、不思議と彼には惹きつけられる魅力があって、なんだか手に入れたいだとか、振り向いてもらいたいだとかそんな気持ちになった。
今思うと執着だったと思う。
彼に執着してしまった私は、彼に好かれるようにとロングヘアにしたり服装を彼が好むようなもの変えてみたりと、万人受けに寄せられるように努力をした(つもりだったが、髪は緑だったしメイクは派手だったし今思うと全然万人受けじゃない)。
しかし努力のかい空しく彼は1ミリも私に振り向かなかった。横顔をちらっと見せることすらなかった。
Aさんに対する感情を冷静に書き綴ってみると、このような経緯も少なからず影響しているだろうと思う。
しかもAさんは男性のタイプ?っぽい?と来たものだからたまったもんじゃあない。
万人受けする努力を、やり方に疑問はあるとはいえ曲がりなりにも頑張ったわけで、それが報われなかった私は今後は、万人受けではなく自分うけを大切にしようと思う。
ああ、なんて浅はかでつまらなくて平凡で没個性的で中身のないインフルエンサーの格言みたいなしょうもない結論なのだろう!
そうなのよ・・・結局私もみんなと同じ過程を歩んで同じ結論に至っただけなの。
もうここまで来ると王道でしょ?100人中100人がこの結論をさも自分しか気づいていないこの世の真理かのように傲慢に恥ずかしげもなく豪語しているし、もしかしたら忘れているだけで小学校の道徳の教科書に載っていたかもしれない。
まぁそんな戯言は置いといて、実際恥ずかしながらも私は上記の結論に至った。
それはやっぱり、万人受けを目指して結果が出なかったから。そして結果がでなかった先に、一番見方であるはずの自分でさえも自分を愛してくれなかったから。
万人受けのためのファッションをしている自分、嫌いじゃないしたまにならいいけど好きかと言われるとそうじゃない。やっぱり自分が着ていて心がときめくファッションを着てほしい。そんな自分のほうがやっぱり好き。
誰かから抱きしめてもらえなかったときに、自分を抱きしめられるのは自分だけ。
他人拒絶されて傷づいて、「誰か抱きしめて!」って叫んだ時に自分に抱きしめてもらえるような自分でいないと。そうじゃないと私生きていかれない。
他者から拒絶される痛みは時間が解決してくれるけど、自分から拒絶される痛みは絶対に時間は解決してくれない。
万人受けvs自分うけとかいう二項対立の話ではない。
これはそういう、話ではない。
この記事を読んでみんなにも万人受けより自分受けを優先しようね!なんて絶対言えない。だってそうすることで苦しむ人も絶対いるし、自分受けを優先した先の痛みなんて想像もできないから。
なんでこんなに生きづらいんだろうね(笑)
自己肯定感が低いからか?だとしても生きなきゃならない。
もうこんな時間だ。今日はもう寝るとしよう。
おやすみ。
最悪の感情
はぁ、こんな歳になってこんな気持ちになるなんて惨めだ。
最近職場のAさんという女性が色んな人から可愛い可愛いと言われているのを見聞きした。
それを聞いて苦しい気持ちになった。
「私のほうがどう考えても美人なのに!」
「Aさん別に美人じゃなくない?」
「なんで私のことは誰も褒めてくれないの?」
「Aさんのどこが可愛いの?」
「自分より可愛くないAさんが褒められてるのが許せない」
苦しい気持ちになったことに驚きつつ、そして恥を偲んで私の胸の内を言語化するとこんな感じだろう。あーあ、言語化すると少女漫画の悪役すぎてビックリするよ。
これらの醜い感情が一気に去来して、すごくモヤモヤした。
これは嫉妬した時に感じる気持ちと一緒だ。
私はAさんに嫉妬していた。
どうしてAさんに嫉妬してしまったのか、私のそれまでの思考を整理したい。
一つ目、無意識のうちに自分が一番かわいくて美人だと思ってしまっていた。
私は学生時代に酷い外見コンプレックスがあった。世界で自分が一番醜いと本気で思っていたし、整形を絶対にすると意気込んでいた。
しかしメイクを覚えるうちにコンプレックスを隠せるようになり、またメイクをすることで周囲から「可愛い」とか「美人」とか言われるようになった。
それまでそのような言葉を言われてこなかった私は舞い上がり、さらには「綺麗なかおしてるよね」などと遺伝子勝ち組の人間しか言われないと思っていた言葉を言われ、自分の顔は美人なんだと錯覚していった。
自分のことを可愛いとか美人だとか思うこと自体は悪いことではない。むしろ良いことだと思う。
私の問題点は、人と比べてしまったことだ。無意識のうちに私が一番可愛い、私が一番美人、私はAさんより美人だと思ってしまっていた。
無意識のうちに人を顔で判断してランク付けし、自分以下とみなした人は見下す。
そんなことをしていたために、認知が歪んでしまった。
じゃあこれからどうするの?
⇒まずは自分のことを可愛いと思ったり美人だと思うこと自体なのは良いことなのでそのまま。
ただし、可愛いから特別扱いされるとか、チヤホヤされると思わないこと。
周囲に自分を可愛いと思ってもらうことを期待しないこと。自分の中で完結すること。
⇒顔で判断してランク付けしないこと
自分は可愛い側の人間だと思って驕っていた。これからは美で競おうとしない。
あくまで自分の中の可愛いを追求すること。他者と比べない。
⇒Aさんや周りの人ことを認めていこう。
Aさんをはじめとする周りの人の好さを認めよう。Aさん可愛いよねと言えるようになりたい。
次に二つ目、他者から承認されないこと=可愛くない?という被害妄想
他者から可愛いと言われないということは自分は可愛くないということなんだろうか?という考えがあった。
⇒そうじゃない、他者から承認を得られなくても私の中に可愛いはあるし、それを見つめていればおのずと理解してくれる他者も存在する。
⇒そもそも私の持つ可愛いはマイノリティ。他者から承認されたければ万人受けするファッションやメイクをすればよい。そうしないのだから、なかなか人から好まれなくて当たり前。
20半ばにもなって、無意識のうちにかわいい戦争に勝手に自ら参戦して独り相撲していた。そして他者を見下し他者からの承認を欲しAさんに嫉妬した。
Aさんのことを可愛くないなと見下した時点で、私の戦争および地獄は始まっていたんだ。
こんな感情久々で。スクールカースト真っ盛りの10代なら分かるけど、大人になってこんな幼稚な感情を抱くと思わなかったよ。
大人になったつもりでいたけど、私は勝手に他人を見下したり調子に乗ったりするところがあるみたい。しかも無意識に。
今回こうやって自分の幼稚な感情もすべて吐き出して整理して、なんとか落ち着くことができた。
自分の悪いところを見つめて反省して、自分で正していくしかない。
私は私を抱きしめてあげるしかない。
そしてこんな感情にはさようなら。
追記
周囲の人を認めるということは、「Aさん可愛いよね!」という意見に賛同できるようになることではない。この人はAさんを可愛いと思ってるんだなと認識し許容できること、それに対し何も感じないようになることである。
別に彼女のことを可愛いと思えなくて良い。何も感じないことだ。
そこが私の目指すところである。
追記ついでに余計なことも書くが、Aさんは近々整形するらしい。
「自分を好きになるために」とハッキリ言っていた。
他者から承認されている彼女だが、彼女なりに思うところあるのだろう。
また彼女は万人受けするように努力をしている。
その努力を全くしていない自分が、どうして彼女に文句を言えよう。
私が惨めになるだけだ。
でもこれだけ反省できた自分偉いよ。
とにかく、今日の自分お疲れ様。
ぎっくり腰になった所感
つい1週間ほど前、ぎっくり腰になった。
きっかけは重いものを運ぼうとしたことだ。
ぎっくり腰と言えども私の場合は症状が軽く、歩いたり立ったり座ったりする日常的な動作には支障がなかった。
ただ、何をするにも腰が痛かった。
その日はもう夜遅かったので病院には行かなかったが、翌日接骨院に行った。
そこでは電気治療やマッサージ、ローラーなどをしてもらった。
電気治療の効果は抜群で、10段階中7くらいの痛みが2くらいにすぐに減った。
そう思っていたのも束の間、仕事をすればすぐに7程度の痛みに返り咲き、
痛みで仕事ができずしばらく欠勤することになった。
欠勤している間も電気治療は続けたが、痛みが治まるのはその時だけだったので
何回も通う必要があった。
1週間たてばさすがに治るだろうとたかを括っていた私だったが、
1週間たっても痛みがまったく変わらないことに不安を覚え、接骨院ではなく整形外科に行くことにした。
まさに今日行ってきたのだが、レントゲンを撮っても骨にはまったく異常がなく、やはりぎっくり腰の可能性が高いとのことだった。
飲み薬と湿布を処方してもらい今日は終了した。
飲み薬を飲んだが正直効いていない?気がする・・・
だが薬を飲むことと湿布を張ることしか今できることがないのでそれで乗り切るしかない。
私の結論としては、ぎっくり腰を発症した場合はまずはケータイでその対処法について調べてほしい。
私はここを怠ってしまった。
ぎっくり腰は私自身は初めてだったものの、よく聞く症状なので周囲の意見を鵜吞みにして何となくで行動してしまった。
まずは骨に異常がないかを調べるためにも、接骨院ではなく整形外科に行ってほしい。
飲み薬の処方も接骨院ではできないので、整形外科に最初から行くのが良いと思う。
正直今も痛みが続いている。
明々後日から勤務が再開するが、痛みはまったく発症当初から変わってないので勤務できるか本当に不安。
昇格することのデメリットって、こういうところにもあるよねぇ。
私は管理職なのだけど、18日は出てほしいって言われたし。
とりあえず飲み薬を信じてみる。
みんなも気を付けてね。
今月で辞めると言うのに
今月で今の仕事を辞めると言うのに、ひどく長く感じる。
腰を痛めて病欠したことを謝るのも本当に面倒だ。
誰かが休んだ分は他の誰かが補っている。
だから休みをもらったことを感謝するのは当然だろう。
だけど、謝るのはどうなの?
体調不良で休むことはいけないことなの?悪いことなの?
なんて、みんなそんなことを考えずお休みいただいてすみませんでしたとか言うんだろう。
どうせ今月で辞めるんだ。
謝らずに感謝だけ述べよう。
それでもし人間関係が悪くなっても知らない。
体調不良になったとき、みんなが休みやすいような環境が一番良い。
さて、こころの小さなささくれをここに吐き出したらあとは眠るだけ。
おやすみ